美女池
西暦1190年頃、奥州平泉に逃れた源義経を追って旅を続けていた静御前は、共の小六が病に倒れて困り果て、花輪長者を頼って屋敷で旅の疲れを癒していました。
しかし、義経が討たれたとの知らせに嘆き悲しみ、3月28日の早朝乳母のさいはらと共にこの池に身を投げてしまったといい伝えられています。
静御前の亡骸は、長者屋敷のはずれに葬られ、のちに「静御前堂」が建てられたと言われています。